2014年8月4日月曜日

basin

ウェブサイトのinformationのページにも書きましたが
2014年9月3日より、西荻窪のFALLさんにて
esou ceramics exhibition 『basin』 が始まります

※FALL galleryブログの展示情報→http://falldays.exblog.jp/22249384/

今回のタイトル、basinですが、意味は深皿、溜め池、など
これがbasin of waterfallになると滝壺になります
なので、FALLで開催されるbasin展ということで、テーマは滝壺
瀑音に静寂を感じたり、一度沈んだら浮いてこられない深さがある、そんな雰囲気を持つ器を並べたいですね!
むずかし!

galaxus名義でのインスタレーションの展示は金沢で行ったことはありますが
esou ceramicsとして陶磁器の展示するのは初めてになります
インスタ展示と違って、今回は販売もするので、心持ちがぜんぜん違います…
とはいえ、当時のブログを読むと、それでもプレッシャーは相当感じていたようで、より緊張感あふれるこの展示を乗り切れるか今から不安に…と、弱音をつぶやきつつ…

とにかく、どうぞよろしくお願いいたします!
案内状の送付をご希望の方は、メールでお名前とご住所いただければお送りします
また、在廊日などはinformationのページや、FALLさんの展示ページなどでお知らせいたします
ちなみにこのFALLさん、展示の他にもヨーロッパの輸入雑貨やアンティーク雑貨の品揃えも、素敵なお店です
ぜひ遊びに来て下さい

【開催詳細】
『basin』
エスオウ セラミクスによる陶磁器展示
2014.9.3(wed)-9.7(sun)
12:00-20:00
FALLにて
定休日 月・火
東京都杉並区西荻北3-18-10 #102
03-5856-0522

2014年4月12日土曜日

制作方針まとめ

今に始まった事じゃないんですけど、私は、とにかくやりたいことが多すぎて目移りしてしまうので、見失わないように今日はちょっと現時点での自分への道標をまとめてみました

少し前の話になりますが、去年、2013年の晩秋-初冬の頃、五島美術館で光悦展がやってました
どの作品も、圧倒されるオーラを放ってました
更に、そのオーラに応えるごとく、来場者の皆さんの鑑賞熱も負けていませんでした
人出もすごかったです

茶碗の歪みや景色などは、客観的に見てみると、もはや抽象美術の領域なのですが、それを汲み取る眼力が、長い歴史の中で、これほど深く広い層に浸透してる日本文化は、かなり稀な存在なんじゃないかと感じました
自然や、ふとした偶然の持つ美への感覚が小さな島国の風景の中で、独自の形で研ぎ澄まされたのかもしれません

巻物も素晴らしかった…今ここで火災が起きたとして、私はこれを守る為なら自分の命を呈してもいい、それ位、後の世に残す価値がある、と心の底から思う程でした

作品を介して、作者が感じていたであろう美に対する感動が、現代の私達にも伝わってくる瞬間は、心にさざ波が起きてそれが世界を広げていくような気持ちになります

分かり合う、その他者との共鳴に、人は心地よさを感じるものです

時間だけでなく、国や地域を超えても鮮やかさを保ったまま、その共鳴を伝えられる音楽や美術には、やはり人々を平安にする力があると思います

私も共鳴と平安を過去から未来に手渡す仕事をしよう…
今年はそれにファンタジーを上乗せで

五島美術館のサイトからこっそり貰ってきた光悦展チラシ画像

2014年4月6日日曜日

希望

ネットの海で流れてきた動画
人が人に与えられる、一番大きな物は“希望”なのではないか、そう感じた
http://youtu.be/fXynrsrTKbI

2014年3月31日月曜日

漢詩

今日はお花に行ったら、床の間に存在感のあるすてきな掛け軸が掛けられていました
先生に伺うと、李白の詩で、内容は3月、煙花の中、天のはてにも繋がっていくような揚子江を舟がただひとつ、それに乗って川を下り、遠ざかってゆく友人を見送る歌だそう
煙花とは春霞と花の入り混じった景色
そんな単語があるのも風情がありますが、なによりその壮大に広がる風景が目の前に現れたようで、今まで気づかなかった漢詩の持つ表現の豊かさに、雷に打たれたような思いでした
思わずその後、岩波文庫『唐詩選・下』を買ってみました
この詩は『黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る』というタイトルらしいのですが、それが載ってたのでいきなり下巻(上・中・下のうち)を…



ちょっとずれますが、今日は先生が50年も通っていらした美容院が3月いっぱいで閉店してしまう話も伺いました
私が通ってるお花の教室は神楽坂の近くにあるんですが、先生がその美容院に通い始めた頃は、夕方近くになると近辺の芸者さんも髪を結いにたくさんやってきたそう
お正月なんかは島田に結う芸者さんも居て、とても華やかだったとのこと
そんな風景、ぜひ見てみたかったです
とても残念

2014年3月3日月曜日

現在日本美術

昨日は銀座に展示を見に行きました
表現はまっすぐで力強く、見る側も爽快な気分に

こういう風に自分のパワーを、思いの方向にストレートに出そうとする精神が許されるのって、いろいろありながら、今現在の日本は、すごく平和なんだな、と感じました

つい社会のネガティブな部分に注目しがちだけど、私は本当に平和な国に暮らしてる
行ってよかった
この時代のうちに私もいいもの作りたい

2014年2月20日木曜日

床の間

今、思うところあって床の間についていろいろと調べています…
以下、まとめメモ

•仏前に香炉・花瓶・燭台を供える伝統が仏教発祥のインドで形成される。
•宋時代に中国で、この3つを一つの卓上に並べる形式ができる。
•禅宗と共にその供花形式も日本に渡り、「香・花・灯」の三具足とされる。

•僧侶の住まい(※方丈)で、寝室兼書斎のプライベート空間である書院エリアに(1)押板・(2)違棚・(3)付書院が作られる。
→(1)押板は、三具足を飾るスペースで、最初は宋から伝わった様に可動式の卓だったけれど、後に造り付けになる。
→(2)違棚は、書籍などを置く棚。
→(3)付書院は採光装置付きの勉強スペース。

•室町時代に、有力大名達の間で、中国の掛軸、陶磁器、漆器などの“唐物”収集が大ブームとなる。
•手に入れた貴重な品々を人に見せるべく、それらを飾る(※荘厳する)ための陳列棚が必要になった。

室町時代になって、来客のための応接室的な空間である“※会所”の中に、僧侶の私的生活空間の“書院”を構成する要素だった「押板・違棚・付書院」を陳列棚として採用。
•客間に書院のしつらえが融合される。
それらを発展させるかたちで床の間が生まれ、また、その新しい建築様式は書院造と呼ばれる。

※会所という空間…
会所が最も発達したという室町時代についての記述を見ると、まだ寝殿造が主流だった当時、会所では人々の集う場として、連歌会をはじめとする様々な会合が催された。
会所内で連歌会に集まった人々は中世の階級制度による身分差を気にせず歌を詠み合った。(ここから、後の「茶室の中では身分の差は関係ない」という精神に引き継がれた?)
また会所の間取りは禅宗寺院の“※方丈”との類似が指摘されている。

※方丈…
四畳半程度の面積。またはその広さの部屋や建物。寺院の住職が生活する建物も方丈と呼ばれる。
後々の禅家の論法にも多く引用された「維摩経」に、維摩詰の方丈を訪れた文殊菩薩とその一行が、その狭い空間に全員収まることができたという逸話があり、仏教においては方丈に全宇宙が内在しているという考え方が生まれた。(ここから、後の「茶室は宇宙を表現している」という考えに引き継がれた?茶室の広さの標準として用いられているのも四畳半のもの、つまり面積の単位としての方丈である。また鴨長明の方丈記は方丈で書かれたことから付けられた題名。方丈≒草庵。利休の作り上げた草庵茶室も方丈からアイディアを取っている?方丈の茶室への影響は強そう。)

※荘厳(仏教用語でショウゴン)…
仏像や仏堂を美しくおごそかに飾ること。
寺院の立派な装飾を見て信心が啓発されるという意味で、内容は形式によって導かれるというたとえの「信は荘厳なり」「信は荘厳から起こる」という言葉もある。飾り立てることは、尊重されるべき事柄だったのだろう。


と、wikiペディア、その他いろんなサイトの記述(ネット情報のみ…)をまとめて、ミッシングリングを想像で埋めつつ、なんとなく筋道を付けてみました

でも書院がどうやって主室に取り込まれるようになったのかの流れがまだなんだか曖昧なんですよね
あと三具足および三幅対は会所では主室に飾られたのかどうかがまず大きな疑問点
方丈は四畳半しかないのに、その中に書院と主室があったのか、方丈の元々の構成もわかりません…

とにかく床の間の発展は唐物荘厳の流行にともなう、有力大名達の顕示欲が大きく影響しているようです
なんか思ったより欲望渦巻いてた

珠光や紹鴎・利休によって作られた侘び茶が、禅宗の思想などの融合によって、床の間を含む茶室そのものを哲学に昇華させた、その結果の部分を、現代の世で先に見てしまってたのがあるせいか、床の間の由来も、もっと深遠なのかと思ってました

今回、床の間を調べて学んだものは、出所はどうであれ、創造力あふれるアレンジを加えることで、世界を引き上げられるという事でした

そうですね、確かに床の間について調べたら、しつらえの持つ真理みたいなものに近づけるかと安易にこっそり思ってましたが、より重要なのは芯の通った創造の方なのかも知れません

Don't stop creation...

2014年2月14日金曜日

第4回大崎クラフトマーケット

2月12日は第4回大崎クラフトマーケットでした
私は2回目の参加です

前回、12月4日は、そこまで寒くなかったですが、この日は寒かったです
途中、妙に生あくびが出て命の危険を感じました
「寝たらダメだ!」状態でした
そんな寒い中、足を止めてくださった方々、本当にありがとうございました

次の大崎クラフトマーケットは4月上旬との事、この頃はきっと暖かくなっていることでしょう
ぜひまた参加できるといいです


前回とあまり変わり映えのしない出店風景

ところで、私のブログ、最近、自己啓発っぽい内容多いですよね…
このところ寒かったり、生活環境に振り回されたりして、自分を奮い立たせないと、やってられないんですよね!
なので、気にせずさらっと流してください!ペコッ

2014年2月9日日曜日

雪の日

奇跡的なタイミングで、運行見合わせをかいくぐりながら帰宅

駅からの帰り道、雪夜は、きれいで楽しかった
何かが始まるような兆しを感じさせる景色でした

実は今日一日、苦行のように辛い日でしたが、忍耐って、自分が望んだタイミングや、自分が思い描いた形でないかも知れないけど、必ず何らかの形で実を結ぶ、ということを最後は実感しました

2014年1月15日水曜日

2014

年が新しくなりましたね
もう半月過ぎちゃいましたけれども、どうぞ今年もよろしくお願い致します

今年初めての更新なので、一年の目標を書いてみます

twitterで年明けの時にツイートしてましたが 「今年は全身全霊でファンタジーを作る」です

元旦はちょうど映画の日で、実家の近くの映画館でタイミング良くかかっていた
ジム・ジャームッシュの“コーヒー アンド シガレッツ”を観にいきました

映画は、モノクロの短編の、ひとつひとつがどれもおとぎ話のようでした
見過ごしているだけで、本当は日常の大人の世界にも ファンタジーは潜んでいると知りました

こうして今、ブログとして文章にしているうちに、 ちょっときれいにまとめたいという心の動きがあっての事かも知れないですが、 ファンタジーって、少し、あれ?と思うような、ちょっとした不協和音みたいなものから 生れてくる気がしてきました


話が少し飛んで、私が石川で陶芸の学校に通っている頃、 ロシア音楽的な作品を作りたいと思っていました

ロシア音楽は夢のように美しいメロディーの中にも、臆することなく不協和音が組み込まれてくる印象があります
そのひずみが独特の荘厳・壮大さと、どこかユーモラスな、そして幻想的な雰囲気を生んでいると感じていました

これを書いているうちに、案外それこそがファンタジーなんじゃないかと思えてきました
世界中のおとぎ話にも、楽しいきれいだけでなく、どこか怖かったり暗い部分が見え隠れしている話が多いですし

私の器も、生活の中に現れるファンタスティックな不協和音のような存在になりたいです
目指しているのは家の中に滝をしつらえるような感じです
滝を作るのはコストも維持も始末も大変でしょうから、食卓に一個、その器があるだけで、日常がちょっとひずんだような違和感が楽しめる、そんなのを全身全霊で

あと、ジャームッシュ観てたら、短編・モノクロの映画撮りたくなりましたよ
日常のファンタジーを
影響され易い…