2014年2月20日木曜日

床の間

今、思うところあって床の間についていろいろと調べています…
以下、まとめメモ

•仏前に香炉・花瓶・燭台を供える伝統が仏教発祥のインドで形成される。
•宋時代に中国で、この3つを一つの卓上に並べる形式ができる。
•禅宗と共にその供花形式も日本に渡り、「香・花・灯」の三具足とされる。

•僧侶の住まい(※方丈)で、寝室兼書斎のプライベート空間である書院エリアに(1)押板・(2)違棚・(3)付書院が作られる。
→(1)押板は、三具足を飾るスペースで、最初は宋から伝わった様に可動式の卓だったけれど、後に造り付けになる。
→(2)違棚は、書籍などを置く棚。
→(3)付書院は採光装置付きの勉強スペース。

•室町時代に、有力大名達の間で、中国の掛軸、陶磁器、漆器などの“唐物”収集が大ブームとなる。
•手に入れた貴重な品々を人に見せるべく、それらを飾る(※荘厳する)ための陳列棚が必要になった。

室町時代になって、来客のための応接室的な空間である“※会所”の中に、僧侶の私的生活空間の“書院”を構成する要素だった「押板・違棚・付書院」を陳列棚として採用。
•客間に書院のしつらえが融合される。
それらを発展させるかたちで床の間が生まれ、また、その新しい建築様式は書院造と呼ばれる。

※会所という空間…
会所が最も発達したという室町時代についての記述を見ると、まだ寝殿造が主流だった当時、会所では人々の集う場として、連歌会をはじめとする様々な会合が催された。
会所内で連歌会に集まった人々は中世の階級制度による身分差を気にせず歌を詠み合った。(ここから、後の「茶室の中では身分の差は関係ない」という精神に引き継がれた?)
また会所の間取りは禅宗寺院の“※方丈”との類似が指摘されている。

※方丈…
四畳半程度の面積。またはその広さの部屋や建物。寺院の住職が生活する建物も方丈と呼ばれる。
後々の禅家の論法にも多く引用された「維摩経」に、維摩詰の方丈を訪れた文殊菩薩とその一行が、その狭い空間に全員収まることができたという逸話があり、仏教においては方丈に全宇宙が内在しているという考え方が生まれた。(ここから、後の「茶室は宇宙を表現している」という考えに引き継がれた?茶室の広さの標準として用いられているのも四畳半のもの、つまり面積の単位としての方丈である。また鴨長明の方丈記は方丈で書かれたことから付けられた題名。方丈≒草庵。利休の作り上げた草庵茶室も方丈からアイディアを取っている?方丈の茶室への影響は強そう。)

※荘厳(仏教用語でショウゴン)…
仏像や仏堂を美しくおごそかに飾ること。
寺院の立派な装飾を見て信心が啓発されるという意味で、内容は形式によって導かれるというたとえの「信は荘厳なり」「信は荘厳から起こる」という言葉もある。飾り立てることは、尊重されるべき事柄だったのだろう。


と、wikiペディア、その他いろんなサイトの記述(ネット情報のみ…)をまとめて、ミッシングリングを想像で埋めつつ、なんとなく筋道を付けてみました

でも書院がどうやって主室に取り込まれるようになったのかの流れがまだなんだか曖昧なんですよね
あと三具足および三幅対は会所では主室に飾られたのかどうかがまず大きな疑問点
方丈は四畳半しかないのに、その中に書院と主室があったのか、方丈の元々の構成もわかりません…

とにかく床の間の発展は唐物荘厳の流行にともなう、有力大名達の顕示欲が大きく影響しているようです
なんか思ったより欲望渦巻いてた

珠光や紹鴎・利休によって作られた侘び茶が、禅宗の思想などの融合によって、床の間を含む茶室そのものを哲学に昇華させた、その結果の部分を、現代の世で先に見てしまってたのがあるせいか、床の間の由来も、もっと深遠なのかと思ってました

今回、床の間を調べて学んだものは、出所はどうであれ、創造力あふれるアレンジを加えることで、世界を引き上げられるという事でした

そうですね、確かに床の間について調べたら、しつらえの持つ真理みたいなものに近づけるかと安易にこっそり思ってましたが、より重要なのは芯の通った創造の方なのかも知れません

Don't stop creation...

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