2009年8月2日日曜日

来ました、地獄の3丁目

今、21世紀美術館で白洲次郎と正子の世界展ていうのがやってて
運よくチケットも貰えたので今日、行ってみた

実はいつもこの2人について見聞きするたびに
なんだかわからないけどかすかな拒絶反応みたいのがある

でも、こんなに世間から素敵だと思われている夫婦を
嫌いなはずはない、むしろ好きなはずだ
白洲正子なんて、みんなの憧れだし
きっと著作とか読んだら虜になっちゃうに違いない
と、ずっと自分に言い聞かせてきた

もしかしたら、この展示が見たいと思ったのは
それを確かめたかったっていうのが少しあるかもしれない

で、今日、実際行ってみたんだけど…
どうやら拒絶の方が本心だったみたいでした

決定的だったのが、正子がどこかの部屋で
お気に入りの家具や道具に囲まれている写真

その民芸調の品々は、もう「物」ではなくて
私には「化け物」に見えた

なんか、動物園に入れられて、生活してるうちに
変に人間じみてしまったり、
精神的におかしくなってしまった動物を見る気持ちに
似てる

そして、そんな化け物たちの中心で
にっこりとしている正子

…なにかが違う

よくわからないけど生活の価値よりも、
物の価値の方が上になってしまったゆがみ、かな?

確かに、自分の作った物の値段が、誰かに認められて
つり上がっていくのは作り手としては正直ものすごくうれしい事だけど
もともと生活雑器だったものが1個数十万円とか言われたら
それはちょっとおかしいんじゃないかなぁー

一方で、確かに目が利くのかもしれないが、
鬼蒐集家たちには、薄気味悪いものを感じる

こだわりの物を使うことで、生活がより豊かになる、という図式は
もちろん否定できないんだけど、今日の展示を見ることで
それ自体にも疑問符というか、その裏側には、物欲というか執着というか
とにかく、やりすぎると醜くなってしまう一面があるんだと感じた

しかも地上はもうすでに物に溢れていて、自分の作ったものを置く
スペースなんてどこにもないかもしれないのに…
私の行為は存在理由のない物を作ってることになるのかも知れないよー

物の本当の価値ってどこにあるんだろう?

物への疑問と否定を抱えながら物を作る
この自己矛盾
これからは地獄の思いもするかもね
真向勝負や!

0 件のコメント: